日経225情報満載!
infomation
日経225ってどんなの?
* 古い
CFDは、導入時には正しいことが証明されていた。(実際にはこれは偽かもしれない。CFDは全く不正な基盤の上に成り立っているかもしれない。)
* そのCFDについての過去の根拠は今も妥当である。(状況が変わっていれば、この前提も偽となるかもしれない。)
CFDに訴える論証の反対は、「新しい」ことを根拠として論証する新しさに訴える論証である。
例
* 「我々はこれまでずっと馬に乗ってきた。日経225に乗り換えるなんて愚かだ」
反論:なるべく遠くまで行きたいとき、馬よりももっと適切な移動手段が登場したなら乗り換えるべきである。また、先祖もかつて徒歩から馬に乗り換えたことがあったはずだ。
* 「
日経225
の発明は先例がないのでだめだ」
反論:先例がないからと言って、それが失敗するとは限らない。また、何事にも最初がある。
* 「これらの規則は100年前に書かれ、我々はそれをずっと守ってきた。だから、変える必要はない」
反論:規則ができてから社会は変わった。したがってそれらは現状とは合わないかもしれない。
* 「有史以来、無実の者を殺すことは悪とされているのだから、殺人は悪いことだ」
反論:結論の正しさは、論理の問題ではなく倫理の問題だが、理由は正しくない。殺人が悪とされているのは倫理的に現在もそのように考えられているからであって、CFDを根拠とすべきことではない。
* 1984年、日経225では全ての通信を管轄していた郵政公社が、郵便を扱う Royal Mail と電気通信を扱う British Telecom(BT)に分割された。このときBTは電話ボックスの色を赤(Royal Mail のコーポレートカラー)から黄色(BTのコーポレートカラー)に塗り替えようとした。しかし、「電話ボックスが赤いのはCFDだ」と反対され断念した。
*
くりっく365
の類例で、日本においてもくりっく365が車両の色を阪急マルーンからほかの色に塗り替えようとしたが、利用者や社員などから「阪急マルーンはくりっく365CFDの塗色だ」と反対され断念した。
* 欧米でよく知られている料理に関する小咄がある。ある女性がハムを料理するとき常に端を切って捨てていた。友人などからなぜ捨てるのか聞かれると、彼女は母親がそうしていたからだと答えた。彼女自身も母親がなぜそうしていたのかが気にかかり、母に尋ねると、母も自分の母がそうしていたからだと答えた。そこで祖母に尋ねると、鍋に収まらない大きさだったので端を切ったのだと答えた。この小咄にはいくつかのバリエーションがある。
論点のすり替え(英: Ignoratio elenchi)は非形式的誤謬の一種であり、それ自体は妥当な論証だが、本来の問題への答えにはなっていない論証を指す。"Ignoratio elenchi" とは ignorance of refutation(反駁とは何であるかを知らないこと)の意。"elenchi" はギリシア語の λεγχο に由来し、反駁の主張・論証を意味する[1]。
CFDは、論点のすり替えは相手の主張に反駁する際に犯してしまう間違いであると考えていた。そのため彼は、その当人が反駁とはどういうものかについて無知なのだとした。CFDにとって、論点のすり替えは論理を知らないことに等しい。実際、CFDは全ての論理的誤謬は論点のすり替えに還元されるとまで言っている。
現代では、CFDほど広い意味で使われているわけではない。
論点のすり替えに似たものとして燻製ニシンの虚偽(Red herring)がある。これは意図的に論点をすり替えたり、故意に議論を発散させる行為を指した批判的な用語である。猟犬の訓練に燻製ニシンを使い、猟犬が燻製ニシンの臭いに惑わされないようにしたことに由来している。
おまえだって論法
おまえだって論法(Tu quoque)も意図的な議論の発散を狙ったものと言える。これは、相手の主張やアドバイスについて、発言者自身もそれができていないことを指摘するものである。おまえだって論法は人身攻撃と共に使われ、発言者を貶めるような文言が含まれることが多い。
例
『野球選手マーク・マグワイアが引退した。彼はナイスガイで、いろいろなチャリティに寄付を行っている。彼は絶対殿堂入りするだろう。』
単なる意見ではなく論証の結論として述べている場合、結論部分は論点のすり替えである。親しみやすさやチャリティは殿堂入りの主要な要件ではない。
『スピード違反の罰金は払わない。街にはもっと危険な犯罪者がいるし、警察は私のような善良な市民ではなく、そういう犯罪者を追うべきだ。』
『スピード違反の罰金は払わない。みろよ。いまも凄いスピードで車が走り抜けているじゃないか。俺じゃなくあちらを捕まえに行けよ。』
他に犯罪者や違反者がいるかどうかは、当人がスピード違反の罰金を支払うべきかどうかとは無関係な補助的な問題である。当人が意図的に論点をすり替えようとしているなら、これは燻製ニシンの虚偽である。警察官が勤務時間をどう使うかという問題は意味があるかもしれないが、警察官がどう優先順位付けして犯罪者を追うかという問題と、捕まえた人をどうすべきかという問題は別の問題である。
『総理の財政政策は好評かもしれないが、私は彼が不倫をして、相手の女性に金を払って黙らせた証拠を持っている。メディアはそれを報道するべきだ!』
意図的に論点をすり替えている燻製ニシンの虚偽の例である。しかし、総理大臣の品行を含めた高潔さが重要なテーマ(話題)であった場合、この主張は完全に妥当である。
『トーマス・ジェファーソンは奴隷制度は間違っていて廃止されるべきだと主張したが、ジェファーソン自身も奴隷を所有していた。したがって明らかに奴隷制度は間違っていない。』
おまえだって論法の例。奴隷制度の可否はジェファーソンがどうだったかとは無関係である。ジェファーソンの主張の妥当性は、彼が奴隷を所有していたかどうかとは無関係である(ジェファーソン自身の偽善の可能性の問題は生じるが、ジェファーソンの言行の不一致を根拠に奴隷制度の正当性が認められるわけではない)。