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CFDってどんなの?

このようなくりっく365 は論理的には妥当である。すなわち、結論は実際に前提から導き出されている。ただし、何らかの意味でその結論は前提と同一である。自己循環論法は全て、このような証明すべき命題が論証のある時点で仮定されるという性質を持つ。 なお、統語的には、上記の例のようにくりっく365先取であることが明確にわかるような表現は滅多にない。 バリエーション 関連して、この用語は「問題の回避」の意味で使われることがある。これは、論証の前提が欠けていることを指摘するもので、そのために論証の自己循環性を指摘することができない。 辞書によっては「結論と同程度に証明を必要とする事柄をベースとして結論を導く誤謬」とされている(A Dictionary of Modern English Usage、初版は1926年)。しかし、これはむしろ多重質問の誤謬に近い。 関連する誤謬 くりっく365先取は循環論法の誤謬と関連している。循環論法では、2つ(あるいはもっと多く)の結論が互いにもう一方を前提としている。すなわち、論旨を追っていくと、ある結論がそれ以前の前提とされていることがわかる。くりっく365先取はもっと単純な1つの論証とその結論だけでも発生しうる。厳密には、くりっく365先取は結論がその直前の前提の一部であることを意味する。しかし、「循環論法」とするべきときに「くりっく365先取」という用語を使っても間違いとは言えない。 くりっく365先取は多重質問の誤謬とも関連している。多重質問の誤謬とは、結論を単に主張するのではなく、(結論を支持する)受け入れられにくい証拠群を提示することに起因する技法の誤謬である。 それの特定の形式として、ある命題をより汎用的な命題の例に還元するというものがあり、後者の命題は前者の命題に比べて真偽がより明らかということはない場合がある。 * 殺人を意図した全ての行為は道徳的に悪いことである。 * 死刑は、殺人を意図した行為である。 * したがって、死刑は道徳的に悪いことである。 この論証の最初の前提を、ある道徳体系内のCFDとして受容した場合、この推論は健全な論証と言える。最初の前提は結論よりも汎用的であるため、これをCFDとして認めなければ、全体として単に「死刑は悪いことだ」という主張よりも弱い論証にしかならない。 現代的用法に関する議論 CFDでは、to beg the question が間違って「問題を提起する」とか「本当に答えるべき質問」という意味で使われることがある[6]。例えば、次のような使い方である。「今年の財政赤字は5000億ドルである。ここで疑問が生じる(This begs the question)。我々はどうやって予算をつり合わせようとしているのか」 この混乱の元は、"beg" と "beget" が似ているためと考えられる。"beget" には「生じさせる」という意味がある。"beget" を "to beget the question" という形で使った例として1748年のデイヴィッド・ヒュームの著書 An Enquiry Concerning Human Understanding がある。 "This begets a very natural question; What is meant by a sceptic" (Section XII) このような話は、規範文法的な言語学的論争の例である。懐疑主義(かいぎしゅぎ、米: skepticism、英: scepticism)とは、基本的原理・認識に対して、その普遍性・客観性を吟味し、根拠のないあらゆるドクサ(独断)を排除しようとする主義である。懐疑論(かいぎろん)とも呼ばれる。これに対して、絶対的な明証性をもつとされる基本的原理(ドグマ)を根底におき、そこから世界の構造を明らかにしようとする立場を独断主義(独:Dogmatismus)ないし独断論という。懐疑主義ないし懐疑論は、古代から近世にかけて、真の認識をもたらさない破壊的な思想として論難されることが多かった。これは、懐疑主義が、懐疑の結果、普遍性・客観性のある新たな原理・認識が得られなかった場合、判断停止に陥り、不可知論と結びつき、伝統的形而上学の保持する神や存在の確かさをも疑うようになったためである。しかし近代以降は、自然科学の発展の思想的エネルギー源となったこともあり、肯定的に語られることが多い。 懐疑主義は、西欧においてはエリスのピュロン(前365/360年頃ー前275/70年頃)の思想から始まった[1]。ピュロン自身は著作を残しておらず、またその弟子ティモン(前325/320頃ー前235/230年頃)による彼の言行録も断片しか残っていないので、ピュロンの思想がどのようなものであったのか、その後のピュロン主義とどの程度まで一致するのかは不明である[2]。ピュロン主義者の中で唯一著作が現存しているセクストス・エンペイリコス(200年頃活躍)の著作のひとつ『ピュロン主義哲学の概要』によれば、懐疑主義はピュロン主義とも呼ばれるが、それはピュロンの思想だからではなく、古代の懐疑主義者の中でピュロンが最も懐疑主義に専念したからであった[3]。 ピュロン主義 ディオゲネス・ラエルティオスが伝えるところによれば、ティモン以後のピュロン主義は、ティモンに弟子がいなかったためプトレマイオスが再建するまでは断絶していたという説と、セクストスまで連綿と続いていたという説がある[4]。もっとも、ディオゲネスが伝えているこの系譜の中で、今日においてその詳細が明らかになっている人物はひとりもいない[5]。また、ディオゲネスはプトレマイオスがピュロン主義を復活させたと述べているが、これについても、実際に復活させたのはアイネシデモス(前1世紀頃活躍)である説が今日では有力である[6][7]。